人事評価制度が
心理的安全性に与える影響
筆者が様々な企業の人事コンサルティング(人事評価制度・賃金制度コンサルティング)を実施するにあたり、企業がVUCA時代を生き抜くために、職場における心理的安全性の重要度が増していることに気づくことがあります。
- ※VUCA (ブーカ) とは、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字をとった言葉で、社会やビジネス環境が目まぐるしく変化し、将来の予測が困難な状態を表現する言葉です。
人事評価制度に目を移すと、ノーレイティングを導入する(年次評価やランク付けを廃止する)企業もあり、その理由の一つに心理的安全性の低下が挙げられているケースがあります。
人事評価制度は心理的安全性を低下させるという論調の書籍や記事を見受けることもあります。
本記事は、心理的安全性を正しく定義した上で、心理的安全性を低下させる人事評価制度、心理的安全性の向上を促す人事評価制度の双方を例示し、人事評価制度の導入が心理的安全性の低下に繋がるとは限らない、むしろ心理的安全性の向上を促す役割があることを明確にお示しすることを目的として作成しました。
目次
心理的安全性とは何か
心理的安全性の概念を体系的に研究し心理的安全性の第一人者として知られるエイミー・エドモンドソン氏によると、「心理的安全性とは、率直に発言したり懸念や疑問やアイデアを話したりすることによる対人関係のリスクを、人々が安心してとれる環境のことである」と書籍「恐れのない組織 エイミー・C・エドモンドソン著 野津智子訳(英治出版)、以下書籍という」で定義しています。
心理的安全性が高い職場では、従業員が不安を覚えることなく、ミスや問題を報告し、情報やアイデアを提供することができるので、チームや組織のパフォーマンスを最大化することが可能になります。
心理的安全性が低い組織と高い組織の比較
心理的安全性は組織のリーダーによって形成されますので、心理的安全性はリーダーが配置されているグループレベルの単位で存在することになります。
心理的安全性が低い組織の経営者や上司は権威的であり、不安にはやる気を引き出す力がある、恐れさせれば従業員は望ましくない事態を避けるために熱心に仕事をするようになる、結果会社の業績も上がる、と信じ込んでいることが多いようです。
結果として、心理的安全性が低い組織では従業員は意見を述べることや問題を報告することに対して恐怖感を抱きます。
反対に心理的安全性が高い職場の経営者や上司は、VUCA時代を強く意識し、部下や関係者から積極的に意見、報告、提案を求める風土を形成しようとします。
心理的安全性が高い職場では、従業員は安心して自分の意見を述べ、行動することができます。
心理的安全性が「低い組織」と「高い組織」の主な特徴を筆者が下表に纏めましたのでご覧ください。
心理的安全性が低い組織の特徴 | 心理的安全性が高い組織の特徴 |
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リーダーが権威主義的である | リーダーは権威主義的とは無縁でフラットに皆の発言を聴き入れる |
リーダーはやるべきことを全て把握していると思い込んでおり、他にほとんど意見を求めずに全てを決定している | VUCA時代を強く意識し、一人のリーダーが把握できていることはわずかであることを認識し、部下や関係者に幅広い意見を求めた上で、リーダーは方向性を決定する役割を担っている |
時に圧力をかけ恐れさせることで部下を動かし業績を上げようとしている | 心理的安全性という土台をつくった上で業績を上げる為の努力を組織的に行っている |
リーダーは失敗することは恥ずべき事だと考えており、失敗をすれば叱責をするような振る舞いをしている | リーダーが自ら失敗談を話し、自分は失敗のプロではなく学習のプロであることを表明している |
上意下達(トップダウン)である | 意思決定が上意下達(トップダウン)であろうがなかろうが、幅広い意見や報告を聴き入れる風土がありそれを実行している |
異なる意見を聴き入れてくれない | 様々な異なる意見を聴き入れる |
発言をすると発言内容によっては無意味に叱責される | 発言しても無意味に叱責されることはなく、むしろ発言したことに感謝、称賛される |
支援を求めようとすると無能扱いにされることがある | 支援を求められた場合は傾聴し迅速に必要な支援をする |
ミスの可能性について事前に組織的に話をする風土は無い | 日頃からミスの可能性について予め気付き、回避する為の新たな方法を組織的に見つけようとしている |
ミスをすると能力不足について咎められることがある | ミスをすると行動や結果に重点を置き同じ過ちを繰り返さないよう学習する |
ミスを報告すると人事評価を下げると言われる | ミスを報告すると行動や結果に重点を置き同じ過ちを繰り返さないよう速やかに修正がなされる(ミスを報告したことにより人事評価を下げると言われることは無い) |
上司が部下の意見をほとんど聴かないまま処遇決定に力点を置いた人事評価を上司が一方的に行う | 上司は部下と相互コミュニケーションをとりながら部下育成に力点を置き人事評価及びフィードバックにあたる |
恐怖心や事なかれ主義的な考えから失敗することを恐れる又は避ける | 失敗を恐れず、たとえ失敗しても失敗から多くの学習をして次に活かす |
組織目標達成の為には手段を厭わず多少の問題があっても高い目標を必ず達成しようとする | 組織目標達成の為に懸命に努力はするが、目標達成にあたり問題があれば迅速に報告がなされ問題解決にあたり、必要があれば組織目標を取り下げることもありうる |
不正、隠ぺいが生まれる可能性がある | 不正、隠ぺいが生まれる可能性はほとんどない |
部下は無用な発言、提案はしない、やるべきことをただ単にやるだけである | 部下や他の従業員の意見や提案を上司は傾聴するので、部下は自由に発言し提案できる、積極的に改善しながら業務にあたる |
従業員の貢献、成長、学習、協働意欲が希薄である | 従業員の貢献、成長、学習、協働意欲が高い |
コミュニケーションが不足しており活気がない | コミュニケーションが良好であり活気がある |
新しく入った意欲のある従業員は頻繁に退職する | 新しく入った意欲のある従業員は概ね定着する傾向にある |
イノベーションは生まれにくい | イノベーションが生まれる可能性がある |
エンゲージメントは原則高くはない | 概ねエンゲージメントが高い傾向にある |
心理的安全性に対する誤認識
心理的安全性が高い組織とは、いつ何時でも好きなように意見を申し出ることができ、常に言動に対して感謝や称賛がなされ、自分の意に反する人事評価がなされることもなく、あらゆることに心理的負荷がかからない個人にとって居心地の良い組織であると認識しているケースがあります。
心理的安全性とは、資本主義社会において企業間の競争を否定することなく、組織内の規律を保ちながら、その中でも対立をいとわず、異なる意見を持つ者同士が率直に話せる風土のことだからです。
心理的安全性を高めることができれば必ず業績アップに繋がる、と認識しているケースもありますが、これについても誤認識です。
「組織を動かすのは心理的安全性ではない」
「心理的安全性だけ高ければ、高いパフォーマンスを上げられるわけでもない」「リーダーにはどうしてもしなければならない仕事が二つある。一つは、心理的安全性をつくって学習を促進し、回避可能な失敗を避けること。もう一つは、高い基準を設定して人々の意欲を促し、その基準に到達できるようにすることだ」
「(心理的安全性は)現代社会で成功する為に必要な数多の要因の一つに過ぎない」
「心理的安全性があれば、成功の他の推進力(有能な人々、創意工夫、多様なアイデア)がうまく働き、仕事の仕方が向上する」
以上のように、エイミー・エドモンドソン氏は書籍で解説しています。
優秀なチームほど報告や提案をする数が多い特徴があることを突き止めた調査結果もあります。
心理的安全性が高ければ報告や提案の数が増えることで、可能であるはずのことが不可能になることを減らすことができる、といった類のものであり、心理的安全性を高めることができればそれを要因として直接業績アップに繋がる関係にはないのです。
心理的安全性を高める為に、本人の意にそぐわない注意指導はできる限り行うべきではない、と認識しているケースがありますが、これについても誤認識です。エイミー・エドモンドソン氏は「明らかな違反者に制裁措置をとる」必要があると書籍で解説しています。
心理的安全性が高い組織は、何度も同じ過ちやルール違反の言動を許容する組織ではないので、そのような場合は注意、指導、人事評価の引き下げ、場合によっては制裁を加えるなどの措置を検討することになります。
そのような措置を講じ、組織内の秩序を維持することの方がむしろ他の従業員に対する心理的安全性を高める結果となります。
心理的安全性の高い組織をつくり上げ、維持しようとしていることについて、組織が本気で取り組んでいることを全ての従業員に伝えることができるからです。
人事評価制度が心理的安全性に与える影響
心理的安全性について正しく理解できたところで、ここからは人事評価制度が心理的安全性に与える影響について考えていきます。
この動きに象徴されるように、人事評価制度の導入は心理的安全性を低下させることに繋がるのでしょうか。
筆者としては、人事評価制度はその内容や運用方法によって、心理的安全性を低下させることも、反対に心理的安全性の向上を促すことも有りうると考えています。
以下それぞれみていきましょう。
心理的安全性を低下させる可能性のある人事評価制度の例
心理的安全性を低下させる可能性のある人事評価制度の典型例を挙げると次のとおりです。
-
・経営理念、組織目標、従業員個人に期待される役割等が関連していない人事評価制度
- ・評価項目の内容や評価基準がオープンにされていない人事評価制度
- ・やってもやらなくても結果はほとんど変わらない人事評価制度
- ・部下の意見を一切聞かず一方的に上司が処遇を決めることを主眼において評価する人事評価制度
- ・一度失敗すれば評価が低下するといったような恐怖心を抱かせる人事評価制度
- ・上司のみならず部下、同僚や関係者などの周囲から受ける低評価を気にしながら仕事をしなければならない人事評価制度
- ・結果のみを評価しプロセス(頑張り等)を一切考慮しない人事評価制度
- ・専ら他者との比較(相対評価)によって評価される人事評価制度
- ・過当競争を煽る完全成果主義による人事評価制度
- ・他者を支援することがむしろマイナスになるような人事評価制度
人事評価の制度面(ハード面)は上記のいずれにも該当しなくとも、運用面における実態が上記のいずれかに該当する場合は心理的安全性を低下させている可能性が高いでしょう。
このような人事評価制度を導入・運用している場合はできるだけ早めに改善することをお勧めいたします。
心理的安全性の向上を促す人事評価制度の例
全ての人事評価制度は心理的安全性を低下させるのかというとそうではありません。
心理的安全性の向上を促すことができる人事評価制度の例を挙げると次のとおりです。
- ・経営理念、組織目標、従業員個人に期待される役割に連動性のある人事評価制度
- ・職務の遂行結果、行動、能力を出来るだけ漏れなく評価できる人事評価制度
- ・評価項目の内容や評価基準がオープンにされている人事評価制度
- ・上司と部下が業務の進捗状況について意見交換等が可能な仕組みが備わっている人事評価制度
- ・自己評価を取り入れ評価者との意見交換が可能な人事評価制度
- ・改善提案したことや改善提案した上でそれを実行したことが評価可能な人事評価制度
- ・コミュニケーションや他者の支援が評価可能な人事評価制度
- ・チャレンジした結果や期待を大幅に上回る成果を出した場合は何かしらの加点をする人事評価制度
留意しなければならないのは、上記のような人事評価制度は心理的安全性の向上を促す(言い換えれば、仕向ける)ための役割を担うツールであると理解した方が良い点です。
人事評価制度をベースとして心理的安全性を向上させるための方策
心理的安全性を低下させる可能性のある人事評価制度の例、心理的安全性の向上を促す人事評価制度の例をそれぞれ見てきましたが人事評価制度はいわばハード面です。
前述の「心理的安全性が高い組織の特徴」にみられるような風土を築き上げる為に、経営者や上司が行うべき重要な方策の例を挙げると次のとおりです。
- ・経営者や上司は経営理念、組織が大切にしたい価値観、組織目標、従業員個人に期待される役割を従業員全体に浸透させる
- ・経営者や上司には傾聴やコーチング、ティーチングを使い分けるマネジメントスキルが求められる為トレーニングする必要がある
- ・経営者や上司は経験則にとらわれることなくVUCA時代を生き抜くには無知であることを認識する
- ・組織として1on1に代表されるように頻繁な振り返りを含めたコミュニケーションの機会を設ける
- ・失敗を学習の機会と捉える意識を組織全体に浸透させる為、経営者や上司が過去にしてきた失敗やそこから学習した事項(失敗から得た学びの達人であること等)を積極的に公開する
- ・部下に自由な発言を求める場合は、経営理念や組織が大切にしたい価値観に則った発言を求める(ルールの無いまま何でも自由に発言させるのではなく、誹謗中傷や批判のみの意見や提案等ではなく、建設的な意見や提案等のみを受け付けることをルール化する)
- ・非難されるべき言動をとったルール違反者には注意指導、繰り返す場合には制裁を与えることも視野に入れる
まとめ
本記事では理論の一貫性の観点から、様々な人物の心理的安全性の定義等を引用するのではなく、あえてエイミー・エドモンドソン氏の書籍のみから引用する方式をとりました。
そして「人事評価制度をベースとして心理的安全性を向上させるための方策」をとることが最も重要であり、特定の流れに同調し且つ熟慮することなく心理的安全性が低下することを理由として安易にノーレイティングを導入する、という判断に至って欲しくないという思いもあり本記事を作成しました(熟慮した上でのノーレイティングの導入を否定するものではありません)。
情報過多で困難の多いVUCA時代を生き抜く為に、本記事が実務における一つの参考になれば筆者としては大変嬉しく思います。

システム関連に強く、人事総務部門のトータルアウトソーシングのプランニングおよび受託を得意とする。さらに、人事労務系のコンサルティングに力を入れており、人事制度構築コンサルティングのほか、M&Aコンサルティング等、企業の経営企画部門、人事労務部門の双方の支援をしている。